死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

私たちはFANTASIAに何を見るか―Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME - ~ PART Ⅱ FANTASIA ~を迎えての個人的な整理として

〔前段〕

 もう9月も終わりだが、相変わらず台風は来ており、どうやら25号は24号の後を追って上陸しそうである。そればかりか、今のペースだと来週末あたりに関西へ直撃しそうであり、8月の座間公演以上に色々と難しい状況になっていそうな気がしてならない。文字通り波乱の幕開けとなるか。それはそれで語り草になるかもしれないが、どのような結果になっても、とにかくファンも含めた関係者一同に被害が出ないことを祈るばかりである。

 

 さて、それはともかく9月も終わりである。気づけばカルッツ川崎でのファンミーティングから、明日でちょうど4週間が経つ。気温差が激しいせいか、「まだ一ヶ月しか経ってないの!?」という気持ちである。少なくとも1クールは経ってない? 今日とファンミが同じ月に属していることに驚きを禁じ得ない。そうは言っても1ヶ月が短い期間であるとは言い過ぎであるから、この記事の趣旨は、今になってファンミの感想を書きつつも、来週から始まるツアーPartⅡに向けた気持ちの整理をしておこうというものである。例によってイベントのネタバレを含むため、目を通していただける際には予めご了承いただければ幸いである。

〔積み上げるということ〕

 Wake Up, Girls!は極めて新参に優しい声優ユニットである。と言っても、他のユニットのことはよく知らないので完全に当社比ではあるが、少なくとも数ヶ月間追いかけてきた中においてはそう感じている。なぜならば、こちらが意識をしなくても、自発的にその歴史を語ってくれるからである。(ファンとしてこの姿勢でいいのか悪いのかは知らない)

 

 八王子の時に「人に歴史あり」ということをまざまざと感じたわけであるが、カルッツ川崎においてもそれは同じ、もとい、WUGちゃんたちが、何をどのように積み上げてきたのかをより一層思い知らされたように思う。そこはやはり映像の力によるところが大きいというか、伝聞ではなくて、眼の前に当時の光景が映し出されていて、ある意味では密度の濃いホームビデオを見るような、自分がその場にいたわけでもなく、さらには自分がファンですらなかった時代の記録がただ流れていくのだが、自分事としてそれらを追体験しているような感覚であった。知らないけれど知っている。「うんうん、大変だったよね」と、スクリーンを見ながら私の中の誰かが頷く……とまで行くと単に病的なだけで我ながら気持ちが悪い。

 

 そのように、ファンミ中は、感動というよりは(知らないのに)懐かしさを感じて時間を過ごしていたので、笑うことはあれど泣くことはなかったのだが、ワンフェスの映像を見たときには涙腺をボコボコに殴られてしまった。というのは、あんなにも必死な形相の吉岡さんを見たのは初めてだったからである。余裕も格好良さも一切なく、かと言って庇護欲をかき立てられる可愛さもない。役者でもアイドルでもなく、生身の人間として腹の底から声を出している(ように見える)その姿は、もはや今となっては見れないものかもしれない。なればこそ、5年という歳月で積み上げてきたもの、そして時間が人に与える影響を感じざるにはいられなかったのである。

 

 過ぎゆく時間に影響を受けたのは、当然ながらWUGちゃんたちに限った話ではなく、ワグナーさんたちもそうであるし、WUGというコンテンツを取り巻く全てに言えることなのだろう。紆余曲折があって今がある。そしてその今が、何だかんだで決して(全く)悪いものではないことを象徴的に示したのが、青山さんの『解放区』だったと思っている。会場に行かれた方はご承知の通り、数小節歌詞が飛んでしまった(そういえば、BDを見ていていつも思っていたのだが、WUGのライブにはプロンプターはないのだろうか。)。伴奏だけが流れる会場の静けさを補ったのは、客席のワグナーさんたちであった(失礼ながらここで一緒に歌ったときは得も言えぬ高揚感があった)。そしてその後、青山さんは帽子を振り落とすほどに激しく、嗄らすほどに声を張り上げ歌い切った。

 

 もとより、ワグナーさんの層(というよりは、総じてファンとはそういうものかもしれないが。)からして、「演者のミスは許さない」などという姿勢でライブに臨んでいるとは思えず、基本的に演者のやりたいこと全肯定の人たちが集まっているだろう(と勝手に思っている)から必然的な結果と言えるかもしれない。突発的な事象に対して客席が咄嗟に声を出し、それに対して青山さんが、ひび割れるほどの声量で応えたのである。すなわち、ライブという空間を通じて、誰も意図しなかった形で新たな一つのコール&レスポンスが完成したと言えよう。そして、そのような芸当ができる関係性が構築されているということである。それこそが、WUGが育んだものなのであろう(毎回そんなことを言っている気もするが)。

 

〔WUGちゃんは新参に優しいユニット〕

 1stソロイベのパンフレットと、ろっけんツアー「パンフレットURA」が販売されるとのことである。URAには5周年ライブと、ツアーのドキュメンタリー映像が含まれる。いつからファンになっても昔から知っているような気になれる、というのは上記のとおりだが、このように今となってはアクセスしようのないものに触れられるチャンスを与えてくれるのも願ったり叶ったりである。私がWUGちゃんを知ったときには、ろっけんツアーもバスツアーも全て終わったあとで、最初のソロイベなんて言わずもがなであるから、単に嬉しさを噛み締めている次第である。率直に言えば、お金を払う気はあるのに、公式に手に入れる機会すらないのは非常にもどかしい。生産コスト諸々、理由はあるのだろうし、もしかすると今回の判断も、ビジネス的には赤字想定なのかもしれないが、ともかくもこのような判断をしてもらえたのはありがたいことである。

 

 一消費者として調子に乗ったことを重ねて言えば、全音源の再録版を出してはくれないだろうか。他アニメタイアップ以前の『Wake Up,Girls!』名義のCDが、声優ユニットとしてのものなのか、それともキャラクタとしてのものなのか私は知らないのだが、どちらでも同じことというか、「新章までの月日でもって成長したキャラクタとしての歌唱」でもよいし、現実のユニットとしてでもよい。何なら両Ver出してもらっても良い。折角だからlive版も出そう……なんて単純に考えても予算が尋常でなくなるから、ここは完全新曲で手を打とうじゃないか。ただ、実はそれが一番難しいのではないかとも思わなくもない。

 

〔ドキュメンタリーでWUGちゃんたちは何を語るのか〕

 要は解散に言及するのかという純粋な疑問である。今のWUGちゃんたちは、解散について、基本的に直接には触れない。それどころか、「これからもWake Up, Girls!をよろしくおねがいします」と言うものだから、その度に言葉の真意を捉えられずにいる。恐らくは、「(コンテンツとしての)Wake Up, Girls!をよろしくおねがいします」だとか、「(最後まで)よろしくおねがいします」とかいうことだと思うのだが、感覚的には、あらゆる意味で終わりがないとの前提で話がなされているように感じられる。

 

 これは意識的にそうしているのだろうし、それ自体に異議を唱えるつもりもないのだが、違和感がないというのも嘘になる。よもや、仙台公演までそのスタンスで進むとも思えない。ここらのタイミングでジャブ的に言及しておくのも一つであろう。何が一つなのか書いている自分もよく分からないが、それは自分でもWUGちゃんたちに解散に触れてほしいのか触れてほしくないのかがはっきりとしないからである。どうせなら夢を見ていたい、しかしそれが永遠ではないことも分かっているから、しっかりと踏み込んでもらったほうがよいとも思う。いずれにせよ、ここは見てのお楽しみだろう。

 

〔私たちはFANTASIAに何を見るか〕

 ファンタジアと聞くと私が真っ先に思いつくのはディズニー映画であるが、ともあれ、このタイトルはPartⅠからⅢの中においては異質な存在だと個人的には思っていた。脈絡がないからである。だからいつもどおり脈絡もなく色々考えてみよう。

 

 メンバーが所々で言及しているところによれば、言葉通り「夢のようなステージ」が繰り広げられるらしい。しかしながら、叶えたい目標(dream的な意味?)としての「夢」ならともかく、単に幻想的な意味合いでの「夢」は、WUGのイメージからは少し外れるように思う。アニメにしても各楽曲の歌詞からしてもそうだが、どちらかというと現実に近い(もちろんアニメである以上幻想的空間であるとは言えるが)ところへ目を向けたコンテンツだと思うからである((明確に幻想チックなのはスキノスキルぐらいでは))。少なくとも、剣と魔法の世界ではないし、得体の知れない超常現象に見舞われる作品でもない。

 

 しかしながら、上述の通り目標としての「夢」であれば、これほどWUGというコンテンツを表すものはないのではないか。二次元と三次元において、WUGちゃんたちはひとまず1ユニットとしての成功を目指し、それを叶え、さらにはそれぞれの目指すべきものへ向かって羽ばたいていく。夢を追いかけ、夢を叶え、また新たな夢を見るのである。その「夢」は初め、幻想とさえ言えるものだったであろう。表現者として成功するなど、まさに夢物語である。「この程度で夢を叶えたなんて言っちゃ駄目」というのは、客観的に見れば十分にお笑い芸人として成功しているように見える天津・向さんが自身を指して言った、(煽りではなく)プロ意識溢れる言葉で、向上心溢れるWUGちゃんたちも同じようなことを思っているかもしれないが、一義的には、幻想的な夢物語を確固たる現実のものとしたのである。すなわち、彼女たちは『Wake Up,Girls!』を通じて見た夢を叶え、また別の夢を見るためにその夢から覚めたのだ。

 

 一方で、WUGちゃんたちと同じように夢を見てきた存在がある。言わずもがな、ワグナーである。私たちは、WUGちゃんたちが幻想的な夢を叶えようとする道程に、ステージ上であるかを問わず、共犯関係的に協力し、その世界に思いを馳せ、WUGちゃんたちが見るものと同じ夢を見てきた。しかし、どうやらWUGちゃんたちはもう夢から覚めてしまったらしい。となれば、私たちだけで夢を見るわけにはいかない。もともとその夢はWUGちゃんのものだからである。PHANTASIAで私たちは夢から覚める。解散を明確に意識させるような映像もまたあるのではないか。そうしてWUGちゃんたちと一緒に、門出を迎える準備をするのである。

 

 そう考えると、今回のHOMEツアーは、これまでWUGちゃんたちが歩んできた道のりを観念的に示してきたものとも言えよう。ゼロから始まった(Start It Up,)WUGちゃんたちは、その夢を叶え(PHANTASIA)、そして旅立つのである(KADODE)。

 

 以上はもちろん、こじらせたオタクの妄想でしかなく、自分が楽しいから書いているだけの無意味な産物である(そもそもWUGちゃんたちはWUGでの夢を叶えたと言えるのか、本人たちにしか知る由もない)。ただ、もしそういった「夢が終わる」ような演出があったら私は独り微笑むだろうし、逆に「夢は終わらない」ようなメッセージがあれば、それを嬉しく思う。とはいえ、100%そのどちらでもないだろうし、結局ライブ中はややこしいことは考えず、来るもの全てを楽しむことになるだろう。なぜなら私は、ただの全肯定人間だからである。

 

 しかし台風は肯定しない。25号よ、単に他地域に逸れても根本的な解決にはならないので、消滅するか弱体化してくれ……というのが、オタクでもワグナーでもなんでもない、一サラリーマンとしての心からの願いである。みなさんもどうかお気をつけて。大阪でお会いしましょう。