死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

二次元を語る楽しさ

 芸能人を評するときに、「○○は性格良い」みたいな話をする人がいる。反対も然り。言いたいことは分かるし、私もそういう感情を持たないわけではないのだが、根本的には「会ったこともない人の性格なんて分かるわけないだろ」という気持ちが強い。テレビを通して見える姿から、いい人・悪い人の判断なんてつかんだろう。程度はどうあれ、彼らの姿は視聴者向けのキャラ作りを経たあとものなわけだから、私たちは本当の姿なんて知る由もないわけである。

 逆転裁判の真宵ちゃんのどういうところが魅力的かということを友人に話している時、なぜ私は彼女のことをよく知っているかのような口を聞いているのか不思議に思った。と同時に、逆転裁判シリーズを通して、私は彼女のことをよく知っているのだということに気がついた。天真爛漫で表情が豊かで元気が良くて前向きででも年相応な弱さもあってでもそういうところは見せないようにする気丈さがあって最新作では家元としての責任感と包容力まで兼ね備えてしまったトノサマン好きの女の子(年齢的には女性と言うべきだろうが)である真宵ちゃんは、魅力に溢れた存在である。

 私は彼女に会ったことはないが、どういう人間かを知っている。そして、その人間性というのは設定によって固められたものであるから、嘘がない(もちろん、次作の展開によっては、これまで積み上げてきた人間性がすべてぶち壊さされる可能性はあるが)。だから私は安心して彼女のことを語ることができる。「本当性格が良くてね」と言うことができる。なぜならば、綾里真宵の性格が良いことを確かに知っているからである。

 二次元を語る楽しさは、こういうところにその基礎があるのではないかと思った。知っているという感覚。対象の前提が崩れないという点では、安心感にも近いものではないか。「二次元は裏切らない」というのは、恋愛的な意味だけではなく、そういうことも含めての意味合いなのではないかと思った。彼らは私達の知っている姿以外を見せることはないのである。