死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

応援を求める

 応援されることが少なくなったように思う。と言いつつ、それは今に始まったことではなく、自分が応援されてきた記憶はそもそもそんなにない。応援ソングが流行るのは、普段他人から応援されることが少ないからか。 いや、応援はいつだってされているのかもしれない。厳密には、表立って応援されることが少なくなったというのが正しい言い方のような気もする。要は「頑張れ」というストレートな応援の言葉をかけられることがなくなったと言うべきなのだろうか。あったらあったで「頑張っとるわ!」と反発するのかもしれないが。

 応援されたとしてそれを受けた自分は心の底から頑張ろうと思うことができるのだろうか。 それこそ近時に応援を受けた記憶がないから何とも言い難いところではあるのだが、真正面から「頑張れ」とか「応援してるぞ」と言われれば、胸に響くものもあるのかもしれない。さっきからかもしれない、かもしれないと言っているのは、結局のところ、自分が応援されているという風景が、あまり想像できないからである。

 他人を応援したいというのはどのような感情だろうか。自分ではなくなぜ他人なのだろうか。自分で自分を応援した方が、色々と捗るような気もする。ただ、現実そんなことはうまくできないのだが。