ひきわり算盤

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

おっさんがおっさんを見ている

 数多の漫画作品についてかわいい女子高生におっさんの趣味をやらせているという批評か批判を聞くようになって久しく、むしろ最近ではもはや聞かなくなってきたところである。それはジャンルとして一般化したからかもしれないし、または単純に女子高生にやってもらう趣味の種類が少なくなってきたせいでもあろうが、それよりも別に女子高生におっさんを仮託しなくてもよくなっているからかもしれない。

 おっさんの趣味をやらせている~との言説が溢れていたころ、私はまだおっさんではなかった。どちらかといえばそれらの登場人物に年齢が近く、「あるかもしれない青春」として楽しんでいた向きがある。さらにいえば、それらがおっさん趣味であるとの認識もなかった。麻雀でもバイクでも釣りでもキャンプでも登山でも何でもよいが、いずれも数ある趣味のうちの一つなのであって、それに学生生活時間を使うことにあまり違和感もなかった。金銭的な問題がスルーされたり、頼れる大人が近くにいたりする場合にはフィクションの魔法を認識していたが、それぐらいのものである。

 一方現在、そもそもそういった学生生活の中で描かれる作品には目が向きにくくなった。その理由は非常にシンプルで、感情移入ができなくなってしまったのである。つまり、私は学生時代、テーマ化されたアクティビティ自体ではなく、フィクション上の学生たちに感情移入していたということでもあり、それが自分のフィクションの楽しみ方だった。それから十数年の時が経ち、今でも大学~社会人初期ぐらいの年代はギリギリ大丈夫だが、中・高生の織りなす学園生活青春グラフィティには逆にちょっと身構えてしまう。それぐらいには歳を取った、ということだろう。

 歳を取りながらも、相も変わらず続けている趣味としてゲームがある。そしてここ1,2年では、人生で初めて格闘ゲームというものにはまった。具体的にはストリートファイター6。発端はVTuberであったものの、触れ始めてからは作品そのものを楽しむようになり、今でもほどほどに続けている。対人ゲームを遊ぶのはいつ以来かも分からないが、最後に遊んだ作品はペーパーマンなどではないだろうか。それすらもあやふやである。

 プレイが続いている大きな理由の一つに、プロ・競技シーンの存在がある。試合を楽しんで観戦するためには、ゲームそのものを知っておいたほうがよいだろう。現実のスポーツでも、経験がある競技のほうが、見ていてより楽しいものである。そして、プロ・競技シーンを追いかける理由は、結局のところ選手である。

 ストリートファイター6の国内プロには、自分と同年代(か少し上)選手が多い。彼ら/彼女らの活躍を見て私は、そういう人生もあるということを知る。長時間ゲームをして、ときに海外を飛び回り、1戦1戦の勝ち負けについて本気で喜び、悔しがっている姿を見て、そのように生きる選択肢もあると知る。私の目から見て、それは冒険であると感じる。例えば、自分より若い、20代なりたての選手を見てもそうは思わない。まだ若いから、そういう選択もあるだろうと。しかし、私の年代は違う。やはりそこは覚悟が変わるだろうと思う。本当にそれで生きていけるのか、本当にゲームで生きていけるのか。結論として、今のところ彼らはそれで生きている。その姿に私は勇気をもらう。自分とは全く異なる人生を生きている面々を見て、元気をもらう。結果としてそれは、今の生活を頑張っていこうとの気持ちにさせる。

 例えばときど選手のVlogを見て、この政情が不安定な時期にフランスに行き、そこで仲間とともに本気でゲームをする、そういう人生があると知る。そういう生き方もあると知る。じゃあ自分も、今の環境でもっとできることがあるだろう。

 そうしたときにふと気づくのは、おっさんがおっさんを見て楽しんでいるということだ*1。おっさんがおっさんから勇気をもらっているということだ。女子高生に仮託する必要もない。必要に応じて、おっさんはおっさんに人生を仮託するのだ。そのように日々を過ごしていける程度には、やはり私も歳を取ったということなのだろう。そういう人生もまた当たり前に存在する。

*1:勝手におっさん扱いして恐縮である