死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

文字情報への回帰:今さら新聞に触れる

 昨年、日経新聞を契約した。電子版だけでもよかったのだが、もろもろを理由に紙+電子版である。紙だけなら4800円、プラス1000円で電子版も読めるという触れ込みだが、電子版オンリーだと4000円ほどであり、結局どちらの媒体がメインであるのかはもはやよく分からない。ともあれ十数年ぶりに家に新聞が届く感覚は懐かしく、若干ワクワクもした。と言いつつも実際に読んでいるのは主に電子版である(アプリの出来がよいと思う)。

 サブスクのサービスとして捉えると、(物価高の現状では以前にも比して)強気の価格設定であるように思えてしまうが、結果として契約してよかったと感じている。その一番の理由は、迂遠な言い方だが、積極的に目にしたくない感じの情報がない点である。言い換えると、良くも悪くも市井の声が目につかない。それは近時盛んなオールドメディア批判の一つだろうが、今となってはこの方がありがたく感じる部分もある。一応は客観的(というとまた議論が生じるだろうが)に記載されており、また感情的な表現も抑えられているからである。単に一定範囲・量の情報を取得したいだけであるならば、従来のメディアのほうが活用しやすい。これは私がはてブを日常的に利用しているから余計にという気もするが、現代だからこそ、双方向的ではない、他人の感想も必要としない、一方通行的なメディアの存在意義があるのかもしれない。言い過ぎかもしれない。

 もう一つよい点として、一定に情報が整理されている。もちろんその精度にはムラがある。特に、自分が属する業界の記事を見たときは、何か微妙に違う気がするなあと感じることがある。これはネットと変わらない。ネットと変わらなくていいのかとは思うが、言い換えると大きく外しているわけでもないので、つまりは全般的にそういう感じのレベル感で紙面が構成されている可能性があると認識さえしていればよいのであり、そのうえで、「(全然知らん業界やけど)そういうこともあるんですかなあ」とふんふん言いながら読んでいくのである。

 というところで本題だが、別に日経がいかに素晴らしいかみたいな話をしたいわけではなく、約一年間購読した結果として、自分は文字情報を読むことに楽しさを覚えるのだと再認識したのであった。もうこれは旧人類になるカウントダウンなのかもしれないが、動画よりも音声よりも、結局文字情報が私にとっては優位なのである。

 とはいえ、文字で情報を入れるのは、それが重要であるかどうかにかかわらず、しんどい時もたびたびある。字を読む行為そのものはもちろん、読んだ文章を頭で咀嚼するのはやっぱりハイカロリーである。そしてしんどい時には、動画や音声に向かってしまう。動画や音声も、得た情報を脳内で処理する必要があるのは同じだが、その情報を得るフェーズにおけるハードルは、文字情報のそれよりも低いと感じるからである。

 ただ、上述のとおり、結局音声等でもしんどいことには変わりがないのであって、つまるところ、文字で情報が取れない程度にしんどいのであれば、結論としては、もう何もしないほうがよいようにも思う。

 ところで、日経は日経でいいのだが、経済商業関係以外の記事も読みたくなり、新年から毎日新聞の電子版も契約してみることにした。毎日は、1000円ちょっとで電子版を契約できるからである。加えて、ウォールストリートジャーナルの有料版も付いてくるので、英語のリーディングの練習にも使えてちょうどよい感じがした。

 利用期間=一日の感想だが、毎日のみならず、ふたを開けてみるとウォールストリートジャーナルが思いのほかよかった。本筋からは全く逸れるのだが、英語であれば諸外国のニュースも見れるのではと、ここで気づいたのである。我ながら、いまさら過ぎてアホである。

 ここで言っている「諸外国」というのは、英語圏以外との趣旨である。調べてみると、例えば新華社通信やアルジャジーラ等は英語版も展開していて、各地域における「情報」を発信していた。これが面白く、またやはり英語の理解力って大事だねみたいな素朴な感想を得て、学習のモチベも上がった。日常において、ついぼーっとTwitterを眺めてしまうような時間は、適宜これらに振り替えていくとよいのかなと思った。ただ、ぼーっとTwitterを眺めてしまうときは、おおむね何かしらのしんどさを伴っているときなので、そもそもスマホを手放して目をつぶって休んだ方がよいのは言うまでもない。

 すなわち、そもそもそうまでして情報を取りに行く必要はあるのかとの自問もないではない。空き時間があれば、どうしてもそれを何か有意義に使おうとしてしまう(それが本当に有意義かは措くとして)。結局この思考が一番よくないのではないかとも思うが、改善策の案は現状特にない。

 

ある男の独白:存在しない取調記録

(筆記者注:以下は音声ファイルの書き起こし。空調機器?の音が小さく響いている)

刑事さん。俺はね、申し訳ないけど本当にそんな悪いことをしたとは思ってないんだ。ずっと一つのことを考えていただけさ。それは本当にシンプルで簡単で、おんなじように考えているのはきっと俺だけじゃない。俺以外にもいくらでもいるはずだと思う。でもそんなことは関係なくて、それはだめなことだって言うんだろ? 分かってるよ。分かってるつもりさ。でもさ、とりあえず聞いてくれよ。

俺はさ、確かに女性声優がゲームで遊ぶ姿を映すだけの番組をよく見ていた。でもさ、それはこういう理由からなんだ。

俺はね、かわいい声の、あるいは印象的な声をした女性たちが、楽しそうに喋っているのを聞いていたかった。見ていたかった。ただそれだけなんだよ。間近で見たいとか、あわよくばその会話に加わってとか、そんなことは一切考えちゃあいない。画面を通して、スピーカーを通して、インターネットを介して、この世のどこかにそういう空間があるってことを夢に見られるだけでよかったんだ。(筆記者注:刑事が相槌を打つ音が随時に挟まる)

だからさ、今となってはよく女性VTuberの配信を見ているのも、そういうことなんだよ。本当にいい時代になったよな。変に過激なわけでもなく、聞いてて心配にも不愉快にもならない、ちょうどよい内輪感の延長線上にあるコンテンツが増えてさ。人間の顔も出てこないじゃない? 見る側も要らんことに気を使わなくてよくなったのさ。YoutubeでもTwitchでも、ページを開いたらアホみたいな多さの配信があって、配信の数だけ世界があるんだよ。なんて、実際のところは俺も大手の人しか見てないけどさ。でも配信者一人ひとりにファンが付いていて、狭い広いの違いはあるけど、そこはもう一つ一つがその人たちの世界なわけさ。あとちょっとメタなことを言うけど、結構同年代の人が多いんだよ。そういうのも何か勇気をもらえるっていうかさ、刑事さんも同い年の野球選手がいたら応援しちゃうでしょ? それと同じだと思うんだよね。

ほら、刑事さんもさ、例えば昔好きだったアイドルとか、バンドとか、そういうのってなかった? テレビやラジオを通じてしか触れられない世界。それがそこに存在していると思えるだけで嬉しかった、そんな記憶はない? 俺にとってはそれが、たまたま今の時代のこういう配信だったってだけさ。それがちょうどいいんだよ。直接的すぎないからこそ、想像できる余地があるってもんさ。ただ、あれでしょ? こうやって話しても、刑事さんは「じゃあその時間を別のことに使えばよかったんじゃないか?」とか思ってるんじゃない? でもさ、刑事さん、それって何をするにしても同じだと思うよ。俺は単に、自分が楽しいと思えることをしていただけなんだ。ゲームをする人だって、読書をする人だっている。俺が配信を見て笑ったり、リラックスしたりするのは、誰かに迷惑をかけているわけでもない。ただ、画面の向こうの誰かが「楽しい」を届けてくれて、それを俺が受け取っていただけ。俺の行為は、それ以上でもそれ以下でもないんだよ。

(筆記者注:沈黙がしばらく続く。刑事は時折ため息をつきながらメモを取っている?)

俺はさ、そういった世界から言わばお裾分けをもらってただけさ。一人の消費者として、鑑賞者として、文字通り遠く離れたところから眺めていただけ。それっていけないことかい? 刑事さん。じゃあさ、俺はいったいどうすればよかったのかな。教えてくれよ刑事さん。俺はいったいどうすべきだったんだろうか。刑事さん。俺はどこで間違えたっていうんだ。お願いだから、教えてくれよ。

(筆記者注:音声はここで終わっている)