死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

あかん、本屋面白すぎるのターン

 本屋にね、本屋に行ったんですよ。いつも行ってますけどね。仕事の帰りに寄ってますけどもね。でも、休みの日にわざわざ本屋に出かける。それも大きな本屋に。これがいいんじゃないでしょうか。

 仕事の帰りに行くって言ってもね、大体閉まってるんですよ。街中の本屋と言えどもね、21時には閉まってしまいますから。22時までやってるところもありますけれども、そうするともう帰るのがテッペンになってしまいますから。仕方なく帰るわけです。でも今日は違いますね。だから休日に本屋に行くんですよ。

 いつもならね、入口の新刊平積み注目コーナーを見てね、なるほど今はこんな感じの本が売られているのねなんて訳知り顔でうなずいたら、あとは仕事に関係する本棚に直行して、ふむふむこんな新刊が出てるのねとちょっと真剣な顔で品定めをして、すぐには読まないことが確定しているけれども1冊手にとってレジに向かってお金を払って家へと帰るんですけれども、今日は違いますよ。今日はね、どこへ行ったっていい。入口からは入りますよ。店に入らないといけないからね。だから新刊コーナーも見ますよ。でも今日は見るだけじゃなくてちょっと手にとって読んでみたりしちゃう。なぜかと言うと休日だから。急がなくてもお店が閉まらないからね。

 さあ次はどこへ行こうかなんて、もう考えなくていい。順番に行けばいいんですよ。ローラー作戦。この本棚を見たら次は隣の本棚を見たらいいんです。色んな本があるね。よく見たら、新聞の書評欄が貼ってあるね。店員さんのかわいらしいポップもあるね。このポップを、今日は真剣にまじまじと見つめちゃう。なんでそんなことができるかって言うとそうだね、今日が休日だからだね。お店がどういう本を売りたいのかとか、店員さんが何を考えてポップを作ったのかとか、そんなことまで思いを馳せてしまうね。心に余裕があるっていうのは、それだけ視野が広がるってことなんだね。

 大きな本屋には本当に山のように本があるんだね。あたり前のことに気づくのも人生においては重要なことだ。何度も同じことに気づいている気がするけど、何度気づいたっていい。忘れたら思い出せばいいのと同じだね。気づけている自分に気がつくことで日々成長につながるんじゃあないのかい。ここでつい「知らんけど」と言いたくなる気持ちを抑えるのもまた、人生においては重要なことなんだよね。

 そうこうしているうちに人文の棚に来たね。こんなところ滅多に来れないね。おっ、またポップがあるよ。見てみようか。『汚穢のリズム』だって。何だかおどろおどろしいタイトルだね。いつもだったらここで終わるんだけど、何度言ったかわからないけど、今日は立ち読みができてしまうんだよね。まえがきを読もうね。目次を読もうね。ちょっと気になったところを読んでみようね。う~ん、おぞけが走るねえ。ホラーでもないのにこの表現は不適切かな? でもそんなことを気にする必要はどこにもないね。これは私の内心だからね。心のなかでは無責任に適当なことを言えてしまうんだね。人間ってのは不思議なもんだよ。それはそれとしてこの本は買おう。

「自分の専門外」なんて言ったらさも自分に専門分野があると言っているみたいで恥ずかしいけど、そういう妙に自分を卑下するような歳でもないっていい加減気づいた方がよさそうだよね、って話をしたのは自分の専門外の本棚に来るとより世の中に存在する知識量の多さに愕然として気持ちがいいなって話をしたかったからなんだ。迂遠でごめんね。でも本当にそう思うんだ。ここにある本で学んでいる人もまたたくさんいるわけでしょ? それってすごいことだよね。色んな人が色んな人のために色んな分野の本を書いてそれを色んな人が読んでるんだよ。そして読んだ人の中からまた新しく色んな人のために本を書く人が出てくるんだ。営みってやつだね。たまには人間もいいことするよな。

 今日はね、児童書のコーナーにも行ってみちゃおうかなって、ちょっと調子に乗りすぎてるかもしれないけど、やっぱりたまには童心に帰りたくなるじゃない? ごめんね、嘘をついたのがバレバレだよね。童心に帰りたくなるのは常日頃のことだね。そこはお詫びして訂正することにして、謝りながら児童書を見るのもオツなもんだ。今の子どもは児童書と呼ばれるジャンルを読んでるんだろうか。みんなラノベを読んでたりするんじゃないの。モモはありそうだよね。でもローワンとかさ、エルマーのぼうけんとかさ、年齢層ごちゃ混ぜで恐縮だけど、定番っぽいやつは今も定番のままあるのかな。そんな複雑な思いも、ダレン・シャンが並んでいる姿を見て吹き飛んだよね。バーティミアスもあるよ。みんなサイズがちっちゃくなってるね。じゃあもしかして盗神伝もあるのかなと思ったけどそんなことはなかったよ。調べたらディズニーが映画化権を取得したんだって。世の中は常に動いてるんだね。

 この調子で青い鳥文庫も見ちゃおうかなっていうのはいよいよ勢いに身を任せすぎている気もするけど、見れる時に見ておかないと後悔するのは世の常だから、客観的には極小さなことでも、それなり以上の本気で向き合うのがよいとされているのは世の理だね。前々から知ってはいたけど、青い鳥文庫もね、可愛くなってるんですよ。絵がね。これは懐古でもなんでもなく、ただ単に感心めいた感想で、幼少期から可愛い絵柄に触れる機会が私の時代よりも多くなっている事実に世の中変わったもんだなって思うわけ。この作品なんてフカヒレ先生だよ? しかも長寿作品。これには戌神ころねさんもびっくり。少なくとも私の中のころさんはびっくり。食もオタクもコンテンツという面では一緒なんだってよく分かるよね。幼少期からの経験の積み重ねが人の常識を形作っていくんだよ。そんな中さっそうと現れる夢水清志郎シリーズの安心感たるや、どのような言葉を紡いでも安っぽくしかならないから、発言自体が憚られてしまうほどだけれども、いつまでも青い鳥文庫の顔を張ってそうな感じがするのは、我ながらいい時代を生きていたんだという実感さえ湧いてくるところだよ。それにしても何か少女小説多めになってる……? と思ったけど、よくよく考えたら当時からどちらかというとジャンル的にはそっち寄りだった気もするね。倉橋燿子先生もまだ最前線で活躍しているんだってネットで『カミング・ホーム』の書影を見たら、イラストはいなだ詩穂先生で、えっあのゴーストハントのいなだ先生!? って驚いちゃったよ。結局コンテンツってもんはどこかで繋がってるんだってこんなところで実感しちゃうね。

 一棚一棚声には出さずにうんうんうなりながら見ていったら本屋の中を一周ぐるっと回ってしまったわけなので、もう店を後にしてもいいというかいいに違いないというか荷物も増えて重いからもう帰ったらいいんだけど、時計を見てまだ時間があるなと思ってしまったので、また別の大きな本屋に散歩がてら行ってみようと思ってしまう。そこにあるのは同じ本かもしれないし、全く別の本かもしれない。そういうさ、半ば古臭いトキメキみたいなものを求めて、私は本屋に行くんだよねって実感しながら立ち続けて歩き続けて棒のようになった足を引っ張りながら幸福みたいなものを感じていい休日だなって思えたんだって話ね。

 

『ひまわりっ!』とeufonius

ひまわりっ!』というアニメがあった。ビックリマークを付けるか付けないかで全く別の作品になってしまうので注意が必要である。忍者の方のひまわりであり、健一レジェンドの方ではない。

 そう、忍者アニメである。ゼロ年代特有の美少女アニメ……というほどにオタクオタクはしてなかった覚えがあるが、かといって一般層(そもそも当時で言う一般層とは何なのか分からない)向けの作品でもない。妙にお色気仕草も散りばめられていて何だかなあという感じがしたが、okamaによるキャラクターデザインはポップでかわいく、親しみやすさもあった。しかしそれはオタクの贔屓目かもしれない。

 どういうアニメであったか。先述したとおり忍者アニメであり、日常アニメである。忍者師範学校のほのぼのとした日常を描く。と思いきや、後半につれて若干雲行きが怪しくなり、とはいえ鬱展開に入り込むわけでもなく、全体のトーンとしては平和である(あったと思う)。こう書くと、何が魅力だったのか判然としないが、おそらく毎週見ようと思う程度には普通に面白かった、ということだろうし、そしてそれは商業作品において重要である。当時この作品がどの程度盛り上がっていたのかは分からないが、変則2クールが採られていたことからすれば、少なくともメーカー側はそこそこやる気だったのではないか。適当をこくのもよろしくないが、よい作品だったとは思うのである。惜しむらくは、1期が涼宮ハルヒの憂鬱と被ったことだろう。当時の多くの作品と同様に、その陰に隠れてしまった。とはいえ陰に隠れた名作とまで言うと言い過ぎには思う。

 

 メーカーのやる気の片鱗として述べるのが適切かは措いて、このシリーズは主題歌がとてもよかった。2作を通して、OPを白石涼子が、EDをeufoniusが担当している。伸びやかな白石涼子の歌声は、明るい曲調とあいまって、主人公のひまわりっぽさを感じられてよい。そして、eufoniusである。初見では何と読むのか分からないし、読み方が分かってもそらで書くことはできない。思えばこれが、そんなeufoniusの楽曲との出会いであった。

  第1期EDの『ぐるぐる〜Himawari version〜』は、初夏の木陰を思い起こさせる一曲で、そろそろセミが鳴き始めそうだなという時分に無性に聞きたくなる。ピアノとスネアの音が心地よく、ずんずんと前に進みたくなる。おとなしさの中に、一歩ずつしっかり踏み出していこうみたいな感覚があって、前向きな気持ちになれる。それはOPと同様に、ひまわりらしさを意識したものとも言えそうである。

「Himawari version」とのタイトルから分かるとおり、ぐるぐるにはもう一つ、通常バージョンと呼ぶべきか、eufoniusバージョンと呼ぶべきか、ともかく別バージョンが存在する。こちらはストリーミングサービスでも視聴することが可能で、アニメ版と比べるとワンテンポ遅く(アニメ版がワンテンポ速い、が正しいか)、歌詞も違う。夏は夏でも夕暮れ時を想起させ、夏の終わりに聞きたくなる。個人的には郷愁もあってHimawari versionの方が好みだが、多分もろもろの権利関係で配信は叶わないのだろう。端的に言って残念である。

 

 第2期EDの『きらきら』は、ぐるぐるとはうって変わって、ピコピコ音が特徴的な可愛らしい楽曲である。キャラソンが隆盛を極める時代において、この曲もメインの登場人物分だけバージョンがあった。eufonius名義を含めてその数6つである。多くない? でもまじぽかとか、何か世の中そんな感じでしたよね。

 少しでも時期が現在に近いからか、ぐるぐるよりもきらきらの方が、個人的には印象深くて、今に至るまで頭の中にいつも残っている一曲である。イントロからすでに気持ちよくなり、口ずさみたくなる。落ちサビからラストまでは、静かな中に盛り上がりがあって心地が良い。好き好き大好き。

 残念ながら、きらきらはストリーミングサービスに載っていない。ぐるぐる以上に何かが面倒くさいのだと思われるが、できることなら聞けるようにしてほしい。正式に聞く手段が物理CDに頼るしかないのは色々と損失である。

 

 あとはもはや別作品の話になるが、eufoniusと言えば、何かのアニメを見ていた際に毎度CMで流れていた最終試験くじらのED、『遠い夏空』である。もとい、この曲が遠い夏空というタイトルであるのを知ったのは、当時から数年経った頃だった。やたらと、と言うと失礼だが、耳につく。これも夏が近づくと思い出す。

youtu.be

 

 ここまで来て何を書きたかったのかようやく思い至ったのだが、夏が来るとeufoniusの曲が頭を流れるねと、そういうことを書きたかったのだった。今ではその名前を何も見ずに記すこともできる。