死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

カメムシは"い"る

 冬の訪れとともにいなくなるどころか、そもそも冬は来ておらず、今もなおカメムシはそこかしこにおり、我が家にも日々出入りを繰り返している。気がつくとそこにいるのがカメムシである。どこから入ってくるのかと言えば、それは開口部に違いないのだが、一日中窓を締め切っていても、何食わぬ顔で壁にとまっているから侮れない。とはいえカメムシは、臭いを除けば私にとって基本的に無害な生き物のはずで、やることと言えばただそこにいることぐらいである。

 虫嫌いであっても、毎日出会っていると忌避感も薄れるもので、今日もまたいるなと思いながらハンガーを近づけ、移動をお願いするとゆったり登ってきてくれるので、そのまま外に連れていくと、またゆったりと動いて去っていく。これを単純接触効果と言う。言わない。慣れである。とはいえこれができるのもカメムシカメムシの色とフォルムをしているのと、かつ動きがゆっくりであるからで、同じ理論を虫一般に当てはめることは難しいだろう。

 時に魔法のように現れるカメムシだが、それは外でも同じことで、突然空から降ってくることもある。頭にぶつかって地面に落ちる。鳥のフンとどちらがましだろうかと言えば、固体であるだけカメムシの方が何倍もマシだが、何かの拍子に臭いを出されると同レベルになるような気もする。それよりも、ぶつかった衝撃で死んでやしないか心配になるが、案外カメムシは強く、あるいは単に自重が軽いからなのか、平気な顔をしてまた歩き出すものである。

 電車は外を走るものだが、その中は室内と変わらず、結局家と同じである。とすれば、当然カメムシもいる。吊り革を握ってスマホを見ていると、目の前に座った女性が何やら足をバタつかせていた。蹴られるのも嫌なので、なんだろうと視線を落とすと、緑色の物体が見えた。カメムシである。足元に飛んできたのか、女性は非常に嫌そうな顔をしながら、そして足元を何度も見ながら、足を動かす。潰してしまったらそれはそれで大事故ではないか。しかし、そんなことを言っていられないのもよく分かるので、ひとまず脛を蹴られぬよう少し横に動くと、女性の後ろの窓にカメムシがとまっているのが見えた。

 ひとしきり足元をクリアリングした女性は、ため息をつきながら背もたれによりかかる。カメムシにぶつかることはない。しかしカメムシはいる。「後ろにいますよ」と声をかけたらカメムシ以前に不審者でしかなく、私はただ女性の頭とカメムシの間約10cmを見ているしかなかったのだった。私は心に刻まなければならない。カメムシはそこかしこに"い"るのだと。

足先が冷えると冬が訪れカメムシは消える

 寒い、と思ったのはもう2,3日以上も前のことだが、掛け布団なしでは肌寒くなったあたりから、どうも怪しさを感じてはいたのである。風呂上がりのドライヤーで汗をかかなくなり、トイレできばっていても息苦しくない。夏が終わる終わると声高に叫ばれながら、やっぱり終わらないを繰り返し、半ばオオカミ少年と化した地球くんが、汚名を返上しようと本領を発揮するのも無理からぬことだろう。最近のトレンドは秋をすっ飛ばす点にあり、もうそろそろこの流行りも終わってほしいものだが、宇宙界隈ではまだ主流なのか、それとも太陽系界隈が遅れているだけなのか、この先もしばらくこの流れは続きそうである。

 体の冷えは末端からやってくる。足先が冷たい、と気づいた時にはもう遅かった。一度冷えると温めるのは大変手間だ。運動するか湯につけるか。どちらも億劫である。冷えは冬を連れてやってくる。冬が冷えを連れてやってくるのかもしれないが、冷えの方が先な気がする。日が短くなった、空気が乾燥してきた、マスクを付ける人が増えてきた。様々な目印はあれど、足の冷えは中でも明確である。足が冷えると体が冷え、体が冷えるとトイレの回数が増える。冬は嫌いではないが、それは現象として好きというだけで、冬の生活は嫌いである。筋肉の動きは悪くなり、何をするにも億劫だ。日常生活で寒さがプラスになることはない。その乾燥具合を少しでも夏に分けてやったらどうだろう。

 家を出ると強風が吹きすさんでいた。寒風である。顔をしかめながら目を凝らすと、ここ最近と辺りの景色が変わっていた。カメムシがいなくなっていた。あれだけ日々に壁を天井を埋め尽くしていたミドリの物体は、綺麗さっぱり姿を消した。今年大量に発生したのは、猛暑のせいとも言われていた。冬が来れば、カメムシは山に帰るらしい。とすれば、やはりもう冬なのだろう。視界を占めていた緑色が、急になくなってしまうと戸惑うものだ。そういえば、カメムシは夏の季語なのだろうかと思ってネットを叩くと、歳時記的には初秋らしい。秋がなくなったのか、単に秋が暑くなったのか、はたして秋は夏と冬のどちらに吸収されるのだろうかとうつつを抜かしながら歩いていると、背中に汗が流れてきて、何だまだ夏ではないかと思ったが、そもそも10月で夏というのもおかしいだろうと気づき、結論としてこれは秋であると思い至ったのだった。よく見ればまだカメムシもいる。