死に物狂い

他人から影響を受けやすい人間のフィクション日記

夜風に騙されるな、エアコンを点けよ

 「風に当たると体に悪いから」などという主張がエアコンを点けない正当な理由にならなくなって久しいが、とはいえ頭上からの冷風に当たりすぎると、やはり身体がだるくなる気もする。これは風に当たるのではなく、当たりすぎるのが悪いのだとも思うが、そうは言っても部屋の構造上、当たりすぎない位置を確保するのがなかなか難しいのも事実である。もとより、手足が冷えやすい体質において、夏だというのにさながら末端冷え性の症状が表出すると、今が夏なのか冬なのか分からなくなり、結局それは身体に悪そうに思う。

 日中の暑さは耐え難いものがあるが、そんな2023年でも朝夕方夜はなんとかなるように感じられる。廊下と部屋の温度差が言うほどには大きくない。それでも外気温は36℃であるらしいが、仮にエアコンを消したとしても、この廊下と同じ室温であれば、別にしんどい暑さではない。

 朝の暑さに耐えられるのであれば、そのままの流れで昼もいけそうな気がしてくる。事実、特段問題はない。在宅勤務をやりながら、汗粒は額を流れていくが、ずっと風はそよいでいるし、水は2リットル以上飲んでいる。2リットル以上飲んでいる時点で身体が悲鳴を上げているのも否定はできない。眼の前には大熱源たるノートPCもある。しかし、暑い状態のほうが頭が回る気がするのである。単に目が回っている可能性もある。

 風呂から上がって扇風機の前で涼んでいると、窓からさらに涼しい風が部屋に入ってくる。もう夏は終わったのか。じっとしているだけで汗が引いていく。もうエアコンは点けなくてよいだろう。そう思って眠ると、朝には汗が滴っている。俺はもうシャワーを浴びたのか。しかしそれは水ではない。汗である。夜風に騙されてはいけない。暑いものはまだなお暑い。

網戸のセミと対話せよ

 少し前までカエルの鳴き声がうるさいなあと思っていたのが去年のことのようで、今となっては夜にゲコゲコのゲコの字までぐらいしか聞こえず、昼間と同じ世界とは思えないほどの涼しい風が窓から入ってくる。季節は夏である。

 夏といえばセミである。清少納言もそう言っている。いや、言っていない。知らない。でも、多分陰では言っていたであろう。あ、やっぱり夏ってセミだなって。セミの声を聞いて我々は夏の到来を知る。セミは夏を知っており、夏はセミを知っている。

 セミがいなければ我々のもとに夏は来ないのである。そもそも夏に来てほしいのか? そりゃ来てほしい。暑いほうが好きだよ。でも厳密には「暑いなあ」と言ってる状況が好きなのだ。人と「暑いですね」と話すのも好きだ。寒いよりも、生きている感じがする。

 そうするとセミは我々にとって必要不可欠な存在と言えるが、それはそれとしてセミの声は大きい。Apple Watchを付けていたら、保育園さながらに警告が表示されるだろうか。ポケモンスリープの録音を聞くと、セミの声しか入っていない。それは俺の声ではない。

 朝の6時ともなるとアブラゼミが騒ぎ始める。離れていてもうるさいが、近くであればなおうるさい。やけにうるさいなあと思って目を覚ますと、窓の網戸に止まって鳴いていた。俺は窓辺で寝ている。となるとこれはもうほぼゼロ距離sing a songである。嘘である。ゼロ距離ではない。しかしなおも近い。

 セミに止めてと言っても、おそらく自身の声で聞こえていないのだろう。セミは微動だにしない。と思うともう一匹がまた網戸にやってきた。最初からそこにいたような佇まいである。直後に妙だなと思い、その原因に気がついた。セミが二匹とも鳴くのをやめていた。

 こちらの要望を聞いてくれたのだろうか。じっとその場から動かず、観察し放題である。セミの裏側は気持ち悪いと言うが、セミはかわいい部類だと思う。もちろん触れないけれども。

 その後もその場を離れずに、セミは硬直している。網戸越しに影が二つあるのは、それはそれで風流である。きっと清少納言も一句詠んだであろう。窓開けて 網戸に見えし 影二つ 聞こえてくるは セミのため息。あまりアホなことばかり言うものではない。

 気温が35℃を超えた場合には、原則出社を取りやめるべきである。未来の法改正のために思索を巡らせながら家の玄関を出ると、快晴の空から水が落ちてきた。目線を上げると、セミが飛んでいく。セミの排尿かあ。そんな経験もいつぶりだろう。そんな経験ばかりしていたものだがな。そう珍しく幼少期に想いを馳せながら、夏を感じて、夏の終わりを感じゆく。もう7月も終わる。